子供から、先生に偉い人を手本として学ばせたことがあった。いつもだれだれのいいところだけ単純なぼくたちに教えた。あの時、自分は有名人の誰かを選んで、努力したこともあった。でも、自分の弱点を気になって、どうやって克服するか、あの時の僕らの気持か、何も教えられなかった。つらいことだった。楽しいか、悲しいか、それをかかわらず、分からないうちに、僕は成人になった。でも、成人の世界にまだ入らなかった。まだ勉強したいっていたので、僕は父母に支えられて、外国で生きてる。いまここにいるけど、ほんどに何か勉強していなくて、迷ってるみたい感じしてる。逃げて、逃げて、自分は自分をしかっている。ときどき、想像中の優等生みたい、勉強していたけど、続けられなかった。なぜか、自分もはっきりしっていない、多分これは自分に合わない道かもしれない。いと
今日は中国の新年なんか、楽しい一日はずだ。僕はそういう感じしない、普通だと思う。幼いとき、ずっと新年を期待していた。おいしいものがたべられたり、いとこ達といっしょに遊んだり、親戚からお年玉がもらえたりしていた、子供に対して、けっこういいものだ。成長しながら、新年の感覚がなくなっていた。いとこたちが自分の家庭をつくっていながら、いろいろな社会経験を生んでる、僕との話はただ挨拶だけ、もっと深く話すことができなかった。高校時代、大学時代の友達も、そういう感じした。子供の僕、単純だっていわれるけど、気持は誰にも分かられるようにして、全然さびしくなかった。いま、子供は楽しいものだと言う、多分そういうかげだ。いまの僕、けっこう寂しく感じして、自分の心、いろいろ話しがあるけど、だれかにはなすか、知らない。父とよくはなしてるが、ある部分の話は話せなかった。ずっと心に埋めてる。僕は彼女を作ってためしていたけど、結局はなにもなかった、それにかわって、心の悩みがもっともふえていた。寂しくてたまらない、誰は私の物を理解してもらうか、待ってる。
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